2024年12月30日月曜日

食堂用食券とKマタさん

 

1連で10枚つづり。たしか50円券が10枚だったと思った。会社と自分の負担が半々であった。(イメージ画像)

食堂は、Bエムサービスという会社が運営していた。箸やスプーン、お盆だけ持って行って自分で各ブースに並んで盛り付けの人にメニューを頼む、という方式だったが、その時に食券を出して注文していたと思う。

食券は、食堂の出入り口に椅子と机がおいてあるが、そこに座っているおばさん(Kマタさん)に、1連綴りの物を何枚購入するかを伝え、代金を支払っていた。(つまり、各メニューの価格は、50円で割り切れる価格だった。)

5枚なら5枚、で枚数を伝えるといつも、「1,2,3,4,5枚。ありがとうございまーす。」と太めの大きな声で、1枚づつはっきりとした口調で数え、手渡ししてくれた。

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そこの責任者?だったのだろうか?よくわからないがそれっぽい雰囲気のZ田さんという男性がいたが、対応もスピーディな感じがするし気が利く感じでさすがな感じがとてもあった。いつもは頼りになる感があるのだが、残念な側面もあった。

 おかずの盛り付けを担当されているときも時々あったが、運営側として節約上手・運営上手なのだと思うがそこが(こちらにとって)災いし、盛り付け上手なのだが、少な目によそっている感が見てわかり、うーん・・。という印象を受けたことがあった。そこはお客の食べる量を節約しないでよ・・、と言いたい気分になったりした。

(今は物価・食費上昇のあおりを受け、ステルス値上げの一環で量やサイズが減ったりしていることもあるが、それとその当時のことでは、場面が違いすぎている。)


阿部君


モデル時代?若かりし頃の阿部寛

職場のT先輩が、俳優の阿部寛と小学校が一緒だったということだった。「阿部君、メンズノンノのモデルしてたけど、そのあとだんだん有名になっていったわ」的な話をしていた。話としては、それだけだったし、先輩にとっても、遠い存在の人なのだなあという感じであった。

小学校が一緒だっただけで、縁もゆかりもない人はごまんといるが、話題としてはまあ、なしではないのか。とても濃い顔のイメージだが、若いときの写真を見るとなかなかのイケメンだったようだ。小学校の時もダントツに背が高く(今は189cmもあるらしい)、イケメンだったのだろうか。


2024年12月12日木曜日

この子の顔を見るとね


(画像はイメージです)


産休明けから復帰したある先輩Tさんの話。復帰からほどなくして退職することとなり、入館証などの回収を行った。

先輩のNさんが、本人からこんな話をきいたのだそうだ。「産休明けからまた仕事を続けようと思ったのだけど、この子の顔をみたらね・・。」ということだそうだった。

 少し変わった趣味の方で、ボディビル?をやっていたそうなのだが、それを通じて知り合った方が旦那さんということだった。結婚前は性格もややきつい方だったようだが、結婚したり子供が生まれたり、その都度だんだんと丸くなっていったということだそうで、それは良かったのでは、と思われる。人生のパートナーとの出会い、新しい家族の誕生を通じて、自分のあるべき姿や道が見つかったのだろうか。

 お子さんが生まれ、退職前にその言葉を残されたそうだが、それは心に残り、なんだか聞いていてとても尊いなあ、という感じがした。




「I」の乱

会社にいると本当にいろんなことがあり、こんな事件があった。とある課長代理さんだった方が、部店長に対して、反旗をひるがえし、何かについて激しく非難し、「私はそんなあなた(部長)にはとても賛同できないし、ついていく気持ちもありません!」的な意見表明をしたようだった。

とにかくかなり前の話だったし、私自身ボーっとしたOLで、もっと理解力があれば、元となった原因についてもっと把握できていたかもしれないが、それについてはわからず、ただ、おそろしく反発していたなあと言う印象だけが残っている。

社内で通常業務外のことを意見したり報告する場合は、「稟議書」というものを書いて提出し、課長や部次長の検印をもらった後、部店内で回覧した。(画像はイメージです)


それとは別に、Iさんの気性が激しすぎるのでは、と思ったことがあった。部長は三浪して今でいうMARCH大学を出ていた(業務上知りえた個人情報だった)が、Iさんはそれをどこかから聞いて知っており、そこをあげつらって、「P部長ってよ、三浪だってよ。バ〇じゃん。」と、エレベータ内でだっただろうか、本人のいないところで思い切り悪口を言っていた(本人は地方の大学出身)ので、それはちょっとひどいなあ、と思ったことだった。


2024年11月17日日曜日

きんさんぎんさん

 

「きんは、百歳、百歳。ぎんも、百歳、百歳。」というなつかしのCM。

双子の長寿姉妹がCMに登場して有名となり、一世を風靡した。

双子であること、名前がきん・ぎん、と親しみやすく覚えやすいお名前であることから、あっという間に世間に広まったと思われる。

 部署内に、五十歳台の大ベテランの独身女性先輩が二名いらした。その年齢まで働いてこられたお二人は、それなりの人生経験を積んだ先輩たちで、独特の強いキャラクター、強い個性を持たれ、職場でも自分の世界なりペースなりを構築されていた様子だった。話していても特に怖さや険を感じることもなかったし、年齢が違いすぎてこちらが相手にされていなかったような印象もあるので、ただ、上の人、という印象しかなかった。

 当時の社内システムだと、女性事務職は、職位や給料が30歳でも少しあがるが、40歳になると大きく上がる感じであったし、偉い人、という印象があった。日本の年功序列・終身雇用の流れが濃かった時代である。お二人は当時すでに、自宅マンション(一人世帯用)を購入されたそうだったし、悠々自適の退職後?を過ごされている(いた?)だろうか。

 そんなお二人を、職場の総合職男性(=「検印者」。自分から見ると年配の方ばかりの職場であった)たちが、「きんさん・ぎんさん」と茶化して呼んでいたことを覚えている。55歳で役職定年(再雇用制あり)、というのは今も同じだと思われるが、定年近いお二人だった。


2024年11月14日木曜日

LTさん

 

(イメージ画像)

 LTさん(女性の同期)は、システム関連部署への配属だったので、敷地は同じだが建物は違うものの、同じ若手同士だったしすぐに顔見知りになり、笑顔であいさつをかわす、フレンドリーな関係であった。

 とても笑顔が素敵でかわいらしく、私はそんなLTさんと笑顔を交わすのが好きだったのだが、当時、スキーで足にけがをしたという話をきいた。松葉づえを使いながら足をひきずるLTさんだったが、笑顔が全く消えてしまって、私ともほとんど目を合わせたくないという雰囲気になってしまっており、すっかり灯が消えたような近寄りにくい雰囲気になってしまっていた。

 それだけ本人は深刻だったのだろう。そんな本人と同じ体験を味わうこともできないし、同じ気持ちになることもできないので、LTさんの表情の激変にただただどうしてよいかわからなかった。隠れた人の気持ちを察するのはどちらかというと苦手な自分、今よりもっとバカでKYで、天真爛漫なふるまいをしていた私を見るのも、しんどくなっていたのかもしれない。

 入社4年目で私の父が亡くなったときに、システム関連部署に多く入社・転入してきた同期の人たちがお香典をくださったのだが、そちらにLTさんの名前も入っていたが、いつのまにか実際に顔を合わせることはほとんどなくなっていた。

ダブルファンタジー

 

在りし日のその店は、コンクリ打ちっぱなし、もしくはそれに近いダークカラーの壁に囲まれたバーだった。(イメージ画像です。)

仕事の後で数度ほど立ち寄ったことのあるバーがあり、たしか「ダブルファンタジー」という店名だった。今はないが、同期の女の子たちと立ち寄ったり、関連会社の人と一度ほど飲み会したり、職場の若者プラス上司一人、というメンツで年末の打ち上げをしたりと、ここを思い出すと、他の思い出にもリンクしてくる。

目黒駅の裏側にあり、落ち着く感じのバーであったが、かなり前に閉店しており、跡地には雰囲気の良いカフェが開店して今に続くようである。