2025年5月11日日曜日

IBM5550

 

IBMマルチステーション、が正式名称なのだろうか。

当時、総務の仕事をしていた時に、IBM5550というコンピューターを使い、表計算を行っていたことを覚えている。今のエクセルと変わらず、範囲指定して計算数式・・=sum(xx:xx)やxx*xx、などを入れることによって足し算・掛け算の答えを出すことができた。

エクセルはろくに勉強していないが、当時の数式の記憶だけあり、そこは同じものが使えるので、貯蓄などの計算用に、適当に使ったりしている。

2025年2月20日木曜日

株式投資の明暗

 


「持ち株会」といって、自社株を買うというおすすめもなくはなかったのだが、金融機関と言うこともあり、株式投資をする方も多かったようであった。

直属上司だったL村さんは、株式で数百万もうかり、自宅の改築?資金として利用することができたといって喜んでいたが、ほかの先輩のIさんは、ひどく落ち込んだ様子で出社していたのでどうしたのかL村さんと話していたところ、L村さんいわく、株下落で損失が出たみたいだよと言っていた。

株は上下動があるので、精神的にはあまりよくなく、私には向いていないかもしれないと思う。

T藤さん

 

社内事務で取り扱っていた業務の一つ。


事務管理セクションがあり、そちらに初め、T藤さんがいたので、業務にかかわる取り扱いが煩雑なため、いただいた分厚いマニュアルもとてもわかりづらく、しょっちゅう社内電話で相談をして教えてもらっていた。

8Fのフロアまでよくいらしてくださり、教えてもらったのだが、いつも機嫌よくニコニコとされていて優しく、とても印象の良いナイスミドルな方だった。まあただこちらが、「なんだかよくわからず、こんなのを自分たちでやるのは大変だ・・。」という態度でいても、「大丈夫大丈夫!(にっこり)」という明るいお返事で返されていたのだった。ちょっと肩透かしな感じもしないでもなかったが。

そんなT藤さんも、別業務の管理者になって、同じフロアに社内異動となって来られたのだが、私がその後転勤・退職をした後の話だった。

(ご自身?奥様の?)株式投資?に失敗されて、自死されたということだった。同じ部署内の後輩経由からの情報だったので、正確には覚えていないが、そんな内容だったと思う。自分の入っていた生命保険の保険金で、損失を埋めてほしいというご遺志を残された?そんな話だったと思う。後輩のTさんが同じ課だっただろうか、Tさんはそれはもう、大変に悲しんで大号泣だったということだった。

T藤さんはそれはもう好感度の高い方で個人的にもいい人だと思っていたので、同じく、悲しいなと思った出来事であった。

2025年2月4日火曜日

KMさんとの年賀状交換

入社半年後に部内移動してから8Fのフロアーでは、仕事の種類も変わり、長くお世話になる方々とのご縁も広がった。

 嘱託さんとして勤務されていたKMさんとは、どの時点からかわからないが、年賀状交換をしていた。(自分の退職後だったかも覚えていない)前からすでに、KMさんはかなり年齢が上の人、という印象だったが、数年前までお年賀状の交換をさせていただいていた。とても心優しい親切な方で、私にもよくフロアーで、「xxさん、元気~?」などと声をかけてくださっていた。

KMさんは写真撮影がご趣味で、旅行にでたときの風景や、きれいに咲いているお花などの写真をお上手に撮影されては年賀状に載せてくださっていたのだが、すでにお年が八十台半ばに達したころに肺炎で亡くなられてしまったそうであった。奥様からのお手紙をいただき、さみしさを感じるとともに、年月の過ぎ去る速さを実感したのであった。

お隠れ席にまつわる不幸には、呪いの力が働いていたのだろうか

 

(ネット画像を加工)結局、「お隠れ席」を使用中に亡くなられた人は、L村さんを入れて3人になってしまった。実話なので、本当にシャレにならない。

職場で大変お世話になったL村さんという上司の方が「お隠れ席」とやや冗談半分で言っていた席が、席の配置の都合により、L村さんの席となってしまったのだが、L村さんは、「オレ、いやだよー。かんべんしてよ。」とその時はまだ笑いながら話していた。

が、結論から言うと、L村さんは、亡くなられてしまった。休日によくゴルフに出られていたようだったのだが、首の筋が激しくしびれる、ということをよく言われており、検査の結果、脳腫瘍が原因?のようであった。 入院が決まり、手術をされてしばらくしてから復帰されたのだが、しばらくしてまた再入院となり、1年ほどして亡くなってしまったのである。

休職中、奥様から暖かい肌着を探されていたという話を聞いて、当時会社で購買物のチラシなどの回覧が時折あったのでダマールの肌着パンフを、生地の見本付きでお送りしたところ、大変喜んでいただけたそうだったのでうれしかったが、私が配属先変更で転勤となった後に亡くなってしまい、とても残念だった。

 その後の話なのだが、退職後、少ししてたまたまそちらの職場の仕事のお手伝いを頼まれ、一時期アルバイトしたことがあった。

 職場でお世話になり、アルバイトのお声をかけてくださったO課長に、L村さんが気にしていたお隠れ席のことをきいてみた。すると「その席なら作業台にしちゃった♪ハハ」ニコーッ、とおちゃめなスマイルをされてしまい、微妙な気分になった。

 とにもかくにも縁起が悪すぎるので、気にはなった。さりげなく作業台として端にどかされたようだが、O課長の在職中はそのままで継続されたとしても、その後どうなったかまではよくわからない。その先は何かのはずみでまた、普段使いの席として回ってくる可能性も、ありえなくはなかったと思われたが、こちらも退職しており、そのことにはもう関われなかった。

 その後年月は流れ、今では年代物となったであろう「お隠れ席」が中古品として流れ出ないで、無事廃棄されていることを願うばかりである。



お隠れ席

(画像はイメージです)

 上司のL村さんが、「お隠れ席」と呼んでいた席があった。もちろん、外見上は何の変哲もない椅子と机なのだが、とにかく縁起が悪いと気にしていたのである。

古いブログでもこのことは書いていた記憶があるが、会社のブログも作ったので詳しく書いておく。お隠れ=亡くなるという意味であるが、文字通り、その席に座って仕事をされていた方がお二人、L村さんがそこを使われる前に亡くなってしまったのである。

一人は、脳梗塞を患って入院した後亡くなられたOさん(別記済み)、もう一人は、嘱託として勤務していたPさんであった。会社では一定数の障碍者雇用が義務付けられているので、Pさんは、総務課直属の嘱託さんとして雇用され、同じフロアー(8F)で毎日お見かけしていた。股関節の変形?で、歩き方に不自由があったようである。Pさんは、無類のお酒好き?だったようで、家に帰って晩酌をしながら、お家の方(奥さんだろうか)と、あーじゃない、こーじゃないと話をしながら一日を終えていく、そんな毎日を楽しく過ごされていたようであったが、晩年、肝炎を患い、それがもとで亡くなられている。

そんなお二人以外にも、下の7Fでも病気で亡くなられた方もいるので、人が亡くなるのは珍しくない話として接していたのだが、L村さんのネーミングにより、これはやばい席なのかなあ、と改めて意識するようになった。


2025年1月10日金曜日

くろちゃん

 

(本人とは似ていない)イメージ画像です

昼食の時間は、スペースは広いが同じ食堂や喫茶室に、同じ敷地内にあるビルでのすべての勤務者が時間差交代で食事をしに来るので、いろんな人がやってくる。同期のHちゃんが、あこがれの人を作った。(見出した?)。

あだ名は、「くろちゃん」で、なぜくろちゃんかと言うと、いわゆる黒服系イケメンボーイのイメージがあるからだという。システム系の協力会社の方で、後から私が部内転属を二度目にしたときに知りえたのだが、すでに奥さんも子供もいたし、本人はまじめでとても礼儀正しく、チームの責任者をされている、しごくまっとうな人であった。

確かに見た目は、黒目の肌、きりっとした表情、まあまあ整った顔立ちであったが、そんな彼にHちゃんは会社に来る楽しみを見つけ、あの人かっこいい!などと言ってルンルンしていたのであった。