2024年11月17日日曜日

きんさんぎんさん

 

「きんは、百歳、百歳。ぎんも、百歳、百歳。」というなつかしのCM。

双子の長寿姉妹がCMに登場して有名となり、一世を風靡した。

双子であること、名前がきん・ぎん、と親しみやすく覚えやすいお名前であることから、あっという間に世間に広まったと思われる。

 部署内に、五十歳台の大ベテランの独身女性先輩が二名いらした。その年齢まで働いてこられたお二人は、それなりの人生経験を積んだ先輩たちで、独特の強いキャラクター、強い個性を持たれ、職場でも自分の世界なりペースなりを構築されていた様子だった。話していても特に怖さや険を感じることもなかったし、年齢が違いすぎてこちらが相手にされていなかったような印象もあるので、ただ、上の人、という印象しかなかった。

 当時の社内システムだと、女性事務職は、職位や給料が30歳でも少しあがるが、40歳になると大きく上がる感じであったし、偉い人、という印象があった。日本の年功序列・終身雇用の流れが濃かった時代である。お二人は当時すでに、自宅マンション(一人世帯用)を購入されたそうだったし、悠々自適の退職後?を過ごされている(いた?)だろうか。

 そんなお二人を、職場の総合職男性(=「検印者」。自分から見ると年配の方ばかりの職場であった)たちが、「きんさん・ぎんさん」と茶化して呼んでいたことを覚えている。55歳で役職定年(再雇用制あり)、というのは今も同じだと思われるが、定年近いお二人だった。


2024年11月14日木曜日

LTさん

 

(イメージ画像)

 LTさん(女性の同期)は、システム関連部署への配属だったので、敷地は同じだが建物は違うものの、同じ若手同士だったしすぐに顔見知りになり、笑顔であいさつをかわす、フレンドリーな関係であった。

 とても笑顔が素敵でかわいらしく、私はそんなLTさんと笑顔を交わすのが好きだったのだが、当時、スキーで足にけがをしたという話をきいた。松葉づえを使いながら足をひきずるLTさんだったが、笑顔が全く消えてしまって、私ともほとんど目を合わせたくないという雰囲気になってしまっており、すっかり灯が消えたような近寄りにくい雰囲気になってしまっていた。

 それだけ本人は深刻だったのだろう。そんな本人と同じ体験を味わうこともできないし、同じ気持ちになることもできないので、LTさんの表情の激変にただただどうしてよいかわからなかった。隠れた人の気持ちを察するのはどちらかというと苦手な自分、今よりもっとバカでKYで、天真爛漫なふるまいをしていた私を見るのも、しんどくなっていたのかもしれない。

 入社4年目で私の父が亡くなったときに、システム関連部署に多く入社・転入してきた同期の人たちがお香典をくださったのだが、そちらにLTさんの名前も入っていたが、いつのまにか実際に顔を合わせることはほとんどなくなっていた。

ダブルファンタジー

 

在りし日のその店は、コンクリ打ちっぱなし、もしくはそれに近いダークカラーの壁に囲まれたバーだった。(イメージ画像です。)

仕事の後で数度ほど立ち寄ったことのあるバーがあり、たしか「ダブルファンタジー」という店名だった。今はないが、同期の女の子たちと立ち寄ったり、関連会社の人と一度ほど飲み会したり、職場の若者プラス上司一人、というメンツで年末の打ち上げをしたりと、ここを思い出すと、他の思い出にもリンクしてくる。

目黒駅の裏側にあり、落ち着く感じのバーであったが、かなり前に閉店しており、跡地には雰囲気の良いカフェが開店して今に続くようである。

2024年11月12日火曜日

Oさん

 

画像はイメージです

 営業店からの事務仕事を集中処理する部署なので、お客さんは一切来ないということ、本社中枢部から離れた部署でもあったことから、仕事を引き継いで持ってくる人もいたが、営業店や本来の部署の一線を、何かしらの事情で退いて(病気など)転入してくる人もいた。

 Oさんも以前はバリバリと仕事をこなしていたものの、途中で心の病気になったらしく、転入されてきた。お願いすれば、検印などを押してはくれるものの、宙を見つめて何もしない姿勢を取り続ける姿がよく目に入った。それを見ていると、その当時はなんで何もしないのだろう・・、という疑問しかわかず、ただ見て見ぬふりをする以外なかった。が、後から考えると、自己防衛をとるための姿勢だったのかもしれない、という分析もできるような気がした。

 他にももちろん、そこまで動作停止はしていないものの、同じような経緯で配置転換となってこられた人たちがいる。順風満帆な人生を歩んでいても、いつその風向きが変わるかは、全くわからない。ストレスで精神がこわれる、そんなことはよくある事象なのだろうか。正社員といえど女性はほぼ事務職、責任も給料も総合職とは違っていたので、上司からそんな言葉を言われる機会はなかったが、総合職はそれなりに大変だったのだろう。本人も要領が悪くいっぱいいっぱいだったり、シゴキがあったのだろうか。「この給料泥棒!」というのを上司から怒鳴られてからこわれてしまった、というエピソードもどなたかの話できいたことがある。

 そんなOさんが、ある時に出勤時に先輩のNOさんが見かけると、駅から乗ろうとしていたバスのベンチに座り、立てなくなっていたそうであった。どうしたのか声をかけると、まっすぐ歩こうとすると、横に歩いてしまう、ということを話したそうである。その後、脳梗塞になっていることがわかり、入院し、退院されたかどうかは覚えていないのだが、しばらくしてからある時、亡くなられてしまった。

 体や心をこわされて転入されてきた人もいたが、健康状態が思わしくない方もいて、途中亡くなられたりしたのである。

おとなしさん

 

勤務管理表、というのを使っていたので画像検索したところ、今どきは「勤怠管理表」となっているようである。病気やケガもあるだろうに、休みを「怠け」扱いにするようなイメージがあり、個人的には少しイヤな感じがする。

総務課の仕事で勤務管理表を出していたときだっただろうか。音無さん(おとなしさん)という方がいたのだが、他の部署からの転入者だったので、それもあって話題にしていただろうか、先輩のN井さんが、「音無さん。音があっても、音無さん。」と、ちょっとおどけて言っていたのだが、なぜかこれがどうにも、記憶の隙間に深くはまって忘れられないのである。