都心の営業店から順番に名前が呼ばれていったかと思う。営業店部門の辞令が終わり、左右に座った同期の女の子と、「やった!本店に残れた!」と喜んだが、都内の住宅地といった土地柄の、事務センターという勤務地に配属された。
本社とは別のところに向かう中で、温厚そうな総務課長さんが引率してくれて、JR路線駅からさらにバスに乗り、通りに面したその勤務地へ、連れて行かれた。都心からかけ離れ、素敵なオフィスのイメージは早くも怪しくなっていった。
母親のどこどこの業界がいい、という主張を素直に受け入れ、試験を受けて入社までたどりついた。自分が何をしたいかというのは全く分かっておらず、すすめられたのと、ただ就職しないといけないということで、進んだ道であった。
昭和の時代、お嫁さん候補として入社して、仕事をする能力などあまり必要とされないお茶くみをして、社内結婚をするための人員、というのは会社によっては絶対にあったと思う。学生時代~入社するまで自分がとってきた行動は、それを目指す以外にない、としか思えなかった。それだけ、ただただ普通にしかしていない割には持論を展開しまくる親の背中を見て、結局よくわからないままその支配を強く受けて、漫然と生きてきたのだと思う。
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