2024年1月6日土曜日

7階フロアの話

 部内移動のあった前のフロアは、6階、移動後の総務課は、たしか7階にあったと思う。7階の総務課のとなりは、パーテーションがあってそちらに、協力会社のパートのおばちゃんたちの常駐しているところ、他方にパーテーションはないが、第四課というところがあり、ATMカードや手形小切手を発行印刷したりする部署があった。



第四課に一つ上の先輩がいたが、職場以外での交流は特になかったが、とてもきれいでかわいく、ポパイに出てくるオリーブのような細い、手足の長い体型で色も白く、白人ぽい感じもある外見の先輩がいた。(もしかして、ハーフなどだったのかは聞かずじまいだったが)(NIさん)人事異動で本社からこちらに業務ごと移動してきたということだったが、入社2年目でかなりの重責なのではなかっただろうか。


Z本さーん、さようなら!w

 


もちろん昔の話だし、一瞬で視界から消え去ったクマのソフビ人形だったので、イメージでしか覚えておらず、こんな感じだったかな?というくらいでしか写真は選べない。全体像は上の写真ぽくて、顔つきは下の写真が似たイメージかもしれない。


 総務課での話の続き。机内の整理整頓をしていた。いろんな不用品を取り出して、ゴミ分類に入れていたときのこと。先輩のNOさんが、会社の粗品であった、小さなクマのソフビ人形を取り出し、これも捨てちゃおう!となり、その時に、定年間近の大先輩であったZ本さんにそのキョロンとした目つきがそっくりだ、という話をしていた。

 が、ゴミはゴミである。ゴミの箱に投げ入れるとき、NOさんが、「Z本さーん、さようなら!w」と言いながらそこに突っ込んでいたのを覚えている。

2023年6月2日金曜日

事務用品

  文房具の管理もしていて、主に事務グループの人がこちらに来て、文具のどれどれが欲しい、と言ったら支給することもしていた。

ハサミ・ホチキス・ホチキス針・鉛筆・メクール(紙をめくりやすくするために手指につける滑り止めクリーム)・海綿(印紙の貼り付けのため、水をふくませたものをツボに入れておく。一人1個づつ持っている。)・スタンプパッド・デート印(日付印のこと)などなど。

当時のメクール。ネットを探しても、1~2画像出てくるのがやっと。

現在、ネット検索から出てきた今どきの?メクール。ケースもスマートな感じになり、クリームのきれいな色が一目瞭然である。色違いのイエロー・グリーンも出ており、かわいらしい明るい色合いである。


当時、出入りの大手文具メーカー(プラス)さんから仕入れていた、最新型ホチキス。20針入り、デザイン性も使用感も当時としては上々だった。今も現役で自宅にて使用中。ダイナモで名前を打ち出し、内側にそれを貼った。

当時、総務課の大先輩だったNOさんが親切で(身内に甘い?!)、このくらいは総務担当の特権よね、と言いながら、海綿は天然物なので一つ一つ違うため「この子がかわいいw」と言って形の良いきれいなものを選んだり、新しいホチキスを貸与してくれたりしたものだった。

2023年5月14日日曜日

秋の人事異動

 


 親にも職場への苦言を言っていたが、ある時に同じ部署内での希望をとるアンケートがあり、そこに総務課への転属を希望したところ、秋の部内移動でそちらに移ることができた。(かなり昔のことだから話すが、実は母親の友人関係から得られた、会社内部のお偉いさんのコネを使ってうまくいったことであった。後から手を回してくださった役員さんから社内電話があり、今は本当は異動する時期ではないのだけど、強い希望があったからそうしました。せっかく動かしたのだし、一度動いたからにはしばらくそこでがんばるんですよ、的なお話があった。少し諭された感じはしたが、後輩たちの苦労談は先に書いたとおりであり、決してこれに関しては自分のわがままではなく、このことがなければ会社には残れなかったかもしれないと思っている。)

 が、係が変わり、人も変わり、ストレスからずいぶん開放されたものの、やはり、学生気分が抜けていない自覚の足りない社員であったから、どの職場でも中身は大して変わらず、上司にもいろいろ細かい小言を言われてしまった。とても未熟だったと思う。

 この後は、場面場面で記憶に残った事柄を、書いていこうと思う。

夏頃に悩む

 


 学生時代の友人たちと、一度夏に会って食事会をしたが、それぞれの進路で元気にしているのではないかと思われた。

 一人はなんと、証券会社に入社して3日で退職し、その後は心機一転、飛行機のCAを目指しているという話をしていた。英語の勉強も頑張っていると言っていた。(その後、無事に転職成功)

 こちらは先輩の怖さに青くなりながらも業務をこなす日々だったが、心もくたびれ、家族にも会社を辞めようか考えるレベルだということは話していた。

 私が特別なことを言っているわけではなかった。その後入社した後輩たちもずいぶんと泣かされ、私が人事異動で抜けたグループに入った、一つ下の後輩もかなりつらい思いをして泣いており(後で配置転換などがあって助かる)、やはりそちらのグループに入った二つ下の後輩も泣いていたがとうとう、秋ごろになって退職に至った(表向きは留学希望、実質は転職)という、残念な経緯がある。

 採用してくれたことに感謝はしているが、人事部はもっと、末端の職場事情もしっかり把握しておかないと、新入社員の疲弊や退職が増えるのではないかと思った。

2017年1月8日日曜日

お嬢さん

 銀行の業務ごとに課で分けられ、その中でさらに、グループで分けられていた。定期預金よりもさらに利回りのいい商品もあり、当時はそれについて、親戚知人などに出状して案内するハガキなども配られた。

 事務処理をまとめて行うところに配属されたのだが、若い女の子、という存在がほとんどなく、20歳台人口の少なかったこと。私の指導役でついてくれたO村さんが、そのグループの中で一番若いらしく(当時34才?)その役目を負うことになったようである。

小柄だが、とても声が低い人だった。そして、O村さんからは残念そうなそぶりを感じた。(若いのに、こんな職場に来てしまってお疲れ様です・・。)そんなことを言ったか、言葉のはしに感じられたのかは覚えていない。

 営業店の事務部分だけを集中管理して引き受け、処理を行った後に店に返送する部署のため、お客さんは来ない。女の人は大多数が30半ば以降のベテランかつ、雰囲気の怖い人、個性やクセの強い人もいた。(独身率も高かった)

 仕事ができない=半人前以下、という風当たりの強さを感じ、「お嬢さん」と呼ばれながら、10歳以上年齢の離れた先輩たちに囲まれてのスタートになった。男性社員たち(全員40代以上)は、課ごとの検印者として配属されている。ベテラン女性社員に、業務指示を出すような感じはなく、実質的なリーダーはやはり、女子先輩社員だった。

画像は、イメージです

 配属されたのは、営業店の事務処理のみ引き受けて集中処理する部だったが、そこは、仕事に厳しい先輩たちと、やや年配の男性が多数を構成しているところだった。当然社内での出会いなど、期待できるものではないし、それどころか、先輩に怒られないように注意を注がないといけない感じであった。先輩の厳しい目線や、気難しい態度にどうこたえていいかわからなくなる怖さもある職場である気がした。

 少しばかりあこがれていた、みんなで仲の良い、さわやかで活気あるオフィスのイメージはくつがえされ、若い男性はおろか、同年代で配属された仲間は、自分を入れて同期三人の女の子だけだった。「うーん・・」たぶん、三人とも同じことを考えていたのではないだろうか。


2016年12月12日月曜日

入社式の日

あの日、経団連ホールで入社式があったと記憶している。自分はというと、二十歳そこそこで仕事のやり方もわからない世間知らず、ただ若いだけがとりえとしかいいようがなかった。
 都心の営業店から順番に名前が呼ばれていったかと思う。営業店部門の辞令が終わり、左右に座った同期の女の子と、「やった!本店に残れた!」と喜んだが、都内の住宅地といった土地柄の、事務センターという勤務地に配属された。

 本社とは別のところに向かう中で、温厚そうな総務課長さんが引率してくれて、JR路線駅からさらにバスに乗り、通りに面したその勤務地へ、連れて行かれた。都心からかけ離れ、素敵なオフィスのイメージは早くも怪しくなっていった。

 母親のどこどこの業界がいい、という主張を素直に受け入れ、試験を受けて入社までたどりついた。自分が何をしたいかというのは全く分かっておらず、すすめられたのと、ただ就職しないといけないということで、進んだ道であった。

 昭和の時代、お嫁さん候補として入社して、仕事をする能力などあまり必要とされないお茶くみをして、社内結婚をするための人員、というのは会社によっては絶対にあったと思う。学生時代~入社するまで自分がとってきた行動は、それを目指す以外にない、としか思えなかった。それだけ、ただただ普通にしかしていない割には持論を展開しまくる親の背中を見て、結局よくわからないままその支配を強く受けて、漫然と生きてきたのだと思う。

 が、入社して、良い相手を見つけて結婚するかどうかは、職場とその出会いがあるかで大きく左右される。
 
オフィスの感じが、比較的これに近かった。(人はもっと多い) そしてもっと昔だったので、机やイスは、もっと前時代的な古さがあった。